「今日何した?」と息子に聞いた時に、「別に」「普通」「忘れた」という答えが返ってきたことはありますか?
たぶんほとんどの保護者さんは経験されていますよね。
私もその一人です。
娘が入学するまでの2年間、毎日息子に「今日は何があった?」「何をした?」と聞きました。もちろんそれだけじゃなく「思い出せないなら順番に朝からやったことを並べていこうか~」とも言いましたが、すべて無駄に終わりました。
「男の子とはこんなものなのか・・・・」と諦めかけたころ、娘がKinderに入学しました。
息子とはうってかわって、娘はとにかく話したくて仕方がない様子。
「私の話を先に聞いて!」と、兄と私の間に割り込んできます。
最初、私は「もう何でもいいや」という気持ちで、娘に先に話させることにしました。まぁ、娘のよく喋ること喋ること。まるで昔の私のようです(笑)
その時です、「◯◯くんも!僕が先!」と自分から話したがるようになったのです。
このことがきっかけで、「うちの子は、思ったより無気力・無関心じゃなかったんだな」と思えるようになりました。
こんな経験から、子どもの感性や思考を考えるようになりました。
もしかして「話さない」のではなく、“頭の中が渋滞している”?
子どもに「今日はどうだった?」と聞いても、「別に」しか返ってこなかった時って、こんなことを感じませんか?
「どうして何も話してくれないの?」
「ちゃんと考えてる?」
「最近、自分で考えない気がする…」
「もっと順番に説明して」
「もしかしてこの子・・・」そんな不安もよぎる日もあったかもしれません。私もそうでした。
でも、もう少し子どもを観察してみてください。確かに彼らは何かにこだわりを持っているし、それについて、驚くほど詳しく話してくれる時もあります。
だから、「今日は何があった?」の質問だけを取り上げて悲観的になる必要はないと思います。
では、子どもの頭では何がおこっているのでしょう?
息子の言動を観察してみた・・・

確かに、何かしらのイメージは頭の中にはあるようです。ただ、私は根気強く彼の散らかったアイデアを一つ一つ聞いてはいなかったような気がして、反省しているところです。
ロックダウン中のある日、Zoom授業の様子を側で観察していた時の話です。息子は当時Grade1(一年生)でした。
- 口頭でお話を作る(いわゆる「お手々絵本」)
- 先生と1対1でやりとり(先生は聞き役兼ガイド)
その時、息子が話した内容の要点をまとめてみました。
・脈絡もなく現れるキャラクター
・キャラクターの一貫しない行動
・次々キャラクターは出てくるが、お話は進んでいない
・キャラクターの行動は説明されるが、感情は説明されてない
確かに、先生の問いかけに対して、何かしら考えようと努力しているのは感じられました。でも同時に、彼の話し方を観察しているとこんな印象も感じました。
「順番通りに展開しない物語」
「感情を表す言葉を知らないか、知っていても言葉になる前に消える」
「思考が飛び飛びになっている」
改めて補足すると、彼は何も英語を知らない状態でカナダの現地校に入りました。だから感情を表す言葉だけでなく、簡単な動詞も知らなかったと思います。
これは私に、「子どもが自分で考えていない」のではなく、“頭の中を整理する途中で困っている”、または”対応する言葉を知らない”のかもしれない、という気づきを与えました。
もしかしたら、普段からこんな思考だったから「別に…」のような返答になったのではないでしょうか・・・?
その時初めて、「子どもが言葉を作っていく途中」を、目の前で見ているような気がしたのです。
AI時代の子どもたち
最近、AIが生活の中に入り込むスピードに、驚くことばかりです。
AIは、「自分で考えなくても」ある程度答えを返してくれる便利さがありますよね。
しかし、大人たちがAIに戸惑っている横で、子どもたちは驚くほど自然に、その世界へ入っていきます。
そして、子どもたちは、「◯◯の音楽かけて」と、ごく短い言葉でAIに話しかけます。
そこにあるのは、そこにあるのは、「通じるために必要な言葉」だけです。
そこでは、「どう伝えれば相手が傷つかないか」や、「自分は本当はどう感じているか」を考えなくても、会話が成立してしまいます。
便利である一方で、「自分の気持ちを言葉にする機会」は、少しずつ減っているのかもしれません。
現代のデジタル環境
改めて、我が家のデジタル環境を見つめ直してみました。
私たちは今、「自分で考える」前に、次の情報へ流されやすい環境の中で生きています。
友人から来る「メール」は激減し、たった数行のテキストメッセージが、あちらこちらのグループから次々届きます。
子どもたちは、YouTubeのおすすめ画面・お気に入り画面に表示される動画やショート動画を次々と再生しています。しかも、ショート動画に至っては、動画が終わりきる前にシュッと画面を変えてしまいます。
親子揃って、何か深く考えるまもなく話が流れていく……ような感じです。
そして最近、「別に」という言葉の中にも、いろいろな感情が押し込まれているような気がしています。
- 特別なことは何もなかった
- 別に話したいとは思わない
- 別にどうだっていいだろう?!
とにかく何かを感じても、それを言葉にする前に、次の情報が流れていくのです。
そんな毎日を繰り返しているうちに、“まだ言葉になっていない感情”を探すより、「別に」と言ってしまった方が、ずっと早いと感じてしまったのではないでしょうか。
このままでは、「感じたことを、自分の言葉にする力」が、少しずつ弱くなってしまうのではないか。そんな不安を感じるようになりました。
「言葉にする筋力(感性と思考力)」を鍛えるために必要なもの
日本語教育や子どもたちとの関わりの中で、私はずっと、「人は、何をきっかけに言葉を持つのだろう」と考えてきました。
子どもたちを見ていると、「子どもが自分で考えない」のではなく、
“まだ自分の感情に名前があることに気づけていない”
ということに気がついたのです。それらは、私の感性と思考というフィルターを通して細分化され、「経験の図書館」に保存されています。そしてそれらを改めて考察し、この記事を書いています。
これまでの経験から、「言葉にする筋力」を育てるには、
「なんか嫌だった」
「ちょっと悲しかった」
「なんでかわからないけど気になった」
そんな小さな感覚に、自分で気づくこと。それが、“言葉の始まり”なのではないかと思っています。
これは、日本語でも英語でも同じで、感じたことを拙い言葉でも言語化しなければ、「言葉にする筋力」は鍛えられないのです。
AIを使ったことがある人なら、イメージしやすいかもしれません。
AIも、「何を感じたのか」「何を知りたいのか」が曖昧なままだと、うまく答えを返せません。
人間の言葉も、少し似ている気がするのです。
でも、「感じたことの自覚」とは、具体的にはどういうことなのでしょう。
「感じたことの自覚」とは?

「感じたことを自覚する」とは具体的に説明すると次の4つです。
- 自分がどう感じたか
- どこが嫌だったか
- 何に引っかかったか
- なぜモヤモヤしたか
こうした感覚は、まだ文章にはなっていません。でも、「自分の中で何かが動いた」ことに気づくことで、少しずつ言葉への道筋ができていくのだと思います。それをはっきりと認識することで、言語化への道筋ができるのです。
その最初のキーともいえるのがこれです。
きっかけは何だったか
これを見逃してはいけません。
きっかけの見極め
きっかけとは、本当に一瞬のできごとです。
意識しなければ、風のように通り過ぎ、
河原の小石のように目立ちません。
でも、確かにその瞬間、心は何かに反応しているのです。
その「それ」の正体が、ここでの「きっかけ」です。それがあったから、何かを感じ、動くことになったのですから。
この「きっかけ」に気がつくのは、かなり大変で、多くの子どもたちがここにつまずいているように思います。
昭和型作文の限界
作文には型があることは、カナダの教育でも言われている話です。しかし、日本のそれとは少し違う気がしています。
どこが違うのか?
起承転結がまるですべての困難を取り去る呪文のように使われていることです。
起承転結そのものが悪いわけではありません。でも、その型が役立つのは、「自分が何を感じたか」が、すでに見えている時です。
ところが今の子どもたちは、
「嫌だった」
「悲しかった」
「気になった」
という感覚そのものが、まだ整理されていないことがあります。
文章全体の構成を示す意味なら悪くもないのですが、あまりにも「それさえ言っておけば書けるだろう」という気持ちが強すぎるのです。
また「自分で考えて感想を書きなさい」は、大人が思っている以上に難しい指示です。
子どもはまず、
- 何が起きたか
- どこで気持ちが動いたか
- なぜ引っかかったのか
を探さなければ前へは進めないからです。
まずは「一言」から始める
最初からいっきに説明させようとは思ってはいけません。それは無理です。大人だって理路整然と事の顛末や自分の感情を他人に説明できません。自分でも、「何が嫌だったのか」がまだわかっていなかったり、言葉にした瞬間に、気持ちが壊れてしまいそうで、うまく話せないこともあるからです。
だから、「ちゃんと説明して」と言っても、無理だということを知っておきましょう。
では、どんな問いかけならいいのでしょう?
子どもが反応しやすい問いかけ
子どもの頭の中にはまだ、
- 断片的な記憶
- 言葉にならない違和感
- うまく整理できていない感情
が散らばっているだけかもしれません。
最初から、「今日何があったの?」と全部説明させようとしなくてもいいのです。
まずは、
「楽しかった?」
「嫌だった?」
「疲れた?」
のように、“感情の入口”に近い問いかけから始めてみてはどうでしょうか。
言葉にする練習は、まず、“一言の感情”を見つけるところから始まるのだと思います。
「日記」は、“頭の中の渋滞”を外へ出す場所
日記は、宿題として“やらされるもの”ではありません。
また、「ちゃんとした文章を書く練習」だけでもないのです。
むしろ、「今日、自分は何を感じたのか」を、少しずつ見つけていく作業なのだと思います。
今日は、「別に」としか言えなかった感情にも、本当は、
- 少し嫌だった
- なんとなく悲しかった
- 気になった
- モヤモヤした
そんな気持ちが、隠れているのかもしれませんよね。
日記とは、そういう“まだ名前のついていない感情”に気づく場所でもあるのです。
最後に
「別に」という返事を聞くと、「ちゃんと考えてる?」と不安になることがあります。
でも、子ども自身、自分で考えていないわけではありません。
その短い言葉の奥では、まだ整理されていない感情や、言葉になる前の思考が、渋滞しているのかもしれません。
AIは、綺麗な文章を作れます。
でも、
「なんとなく嫌だった」
「少し悲しかった」
という感覚を、自分で見つけることはできません。
だからこそ今、“自分の言葉”を持つことには、大きな意味があるのだと思います。




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